02.カツオ漁の動力化

《カツオ船の動力化》
先月号では明治初期のカツオ船に付いてお話させて頂きました。
明治初期のカツオ船は主に帆船や櫓船で行われていましたが、これではカツオが沿岸部から離れてしまうと漁場も遠くなってしまい、日帰りの様な操業も出来なくなってしまいます。

明治後期になると遠洋でカツオ漁が出来る様にカツオ船の動力化が始まりました。

《動力船の誕生》
カツオ船の動力化が行われるのは、明治39年以降で静岡県水産試験場の第一世富士丸25トン(定員23名)が西洋型の漁船にアメリカ製の石油発動機である、4サイクル電気着火式18馬力を積み込み完成したのが最初と言われています。

当時の静岡県の中心漁業はカツオ漁であり、カツオ船の動力化が待たれていました。完成した第一世富士丸には遠洋の漁業に適するように大きな活魚蔵を設けて出船した為、好成績を上げたと言われています。第一世富士丸に刺激を受けた各地のカツオ船の多くが、動力船へと変わっていきました。

明治41年、静岡県では25隻の動力船が建造されており、今までのカツオ船にエンジンを付けたものは、80隻にもなりました。同年には焼津に初めて25トン(21馬力)の石油発動機搭載の漁船が4隻誕生し、三宅島・八丈島の沖合まで出漁が可能になりました。

《大正時代の急増》
大正時代に入り、動力船が急激に増え始めました。大正4年のカツオ船は全国で1048隻あり、そのうち動力船は702隻にも達しました。

特に静岡・三重・岩手の漁船の動力化が増えてきました。この様な傾向は、この地域の沿岸部でカツオの漁獲量が減少した事が起因していると思われます。

無動力船が多いのは宮城・沖縄県であり、この地方の沿岸部では比較的カツオの漁獲量が変わらなかった事が影響していると思われます。

又、動力化を進めるには金銭的な問題も発生する為、なかなか動力化に踏み込めない漁船も多かった様です。

しかし、各地の漁獲量の増加に伴い、こうした地域にも動力化が進んできました。その後、大正15年のピーク時には1360隻もの動力船が誕生し、カツオ漁船は新時代を向かえました。
第1世富士丸
第一世富士丸

次号はカツオ船の大型化に付いて、お話をさせて頂きます。