02.戦後の鰹漁

先月号までの数か月、皇道産業焼津践団員に付いてお話をさせて頂きました。

皇道産業に参加された多くの方が、各地の戦争に巻き込まれ、尊い命が失われてしまった悲しい歴史ですが、鰹節に関わる私共は決して忘れてしまわない様な行動が必要だと改めて感じました。

戦後の日本は、敗戦国となり日本の漁業にも多大な影響を与えました。

《マッカーサーライン》
1945年8月14日、当時の日本は連合国に対し、ポツダム宣言の受諾を決定し、8月15日終戦・無条件降伏となりました。

その後、連合国軍の占領統治下となり連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)ダグラス・マッカーサー最高司令官が就任しました。

GHQは占領下に置かれた日本を管理する為の最高政策機関であり、以下GHQが発行した文章「日本の漁業及び捕鯨業に許可された区域に関する覚書」により日本漁船の活動可能領域が決定されました。

この活動可能領域を『マッカーサーライン』と呼びました。

1945年9月2日GHQの指示が無い限り漁船を含む船舶の移動が一切禁止されました。その後、同年9月27日、日本の漁獲水域が指定された事により、多少の漁業が可能になりましたが、このマッカーサーラインにより日本漁船は公海を自由に操業する事が出来なくなってしまいました。

当時、世界第一位の水産国になっていた日本船による漁業活動域は、北洋のオホーツク海・ベーリング海、南洋のニューギニア、インド洋等でしたが、全ての海域での操業が出来なくなってしまいました。
戦後の自国漁業の保護のために関係国の強い意志が日本の遠洋漁業を制限したとも言われています。

しかし、終戦後の日本の食糧事情は極めて悪く、このままでは大きな反乱になりかねないと懸念した連合国はマッカーサーラインを徐々に拡大して行きました。
1952年4月日本側の関係者の度重なる交渉の結果、マッカーサーラインは廃止されました。

やっと日本のカツオ船は自由に操業が出来る事になりましたが、暫くすると国連海洋法条約(200海里)が制定されます。

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