8.山彦日記

う~む、なにか違う。どこがどうというわけでもないが、確かに違う。庭を見渡し思う。
山彦の家は田舎の陋屋。嫁いだ姉が我が家周りを見て「木が茂ってきたねえ」と言う。毎日見眺めているとさほど感じないけれども、よくよく見ると枝が不自然に伸びて屋根に掛かっている。このままでは雨どいに落ち葉が詰まってしまうし、家の壁が湿気でよろしくない。
かたや刈り込んだ槙の木は元気がなく木肌が白っぽくなってしまっている。しだいに気がかりになってきた。図書館で「庭木剪定の基本」を読んで謎が解けた。目からうろこがポロリと落ちた。剪定の考え方が大幅に違っていたようである。
数年前に亡くなった父は趣味のない根っからの百姓であった。父は家の敷地に木を植えた。特に庭を作ろうという意図はなかったとおもわれるが、季節の花木を主として西側には西日よけに月桂樹や山茶花、北側には風よけの木(名前は知らない)等々を配し、別段どうということのない思いで暮らしていた。
そして父が他界した後、それらの庭木は特に手入れもせず業者に年末手入れをしてもらうだけだったが、それがこの始末である。父の死後、またまたそのありがたさ,本領を感じる。花が咲けば「ああきれいだ」と目で和ませ、実がなれば収穫を楽しみ皆の口を喜ばせてもらったのも父がなせる技術だったのだと思い至った。そういえば子供のころ父のミカンは子供の手に余るように大きく甘く、日々の手入れのよさが表れたのだろうなあ。誰にでもできたことではなかったのかもしれない。
そして今山彦は研究中である。本によると乱れた樹形をそれなりの姿に戻すのに5年から6年かかるという。やり直しができるのなら御の字である。自然の植物を敷地に取り入れたのが、庭であるが、自然に任せただけでは風情のある庭にならない。日々の手入れをしつつも、努力の跡が見えない「庭」それが理想であるという。山彦の人生もかくありたい。