02.昔のカツオ漁の方法

《昔のカツオ漁の方法》

先月号でカツオ漁の凍結方法である「ブライン凍結」に付いてお話をさせて頂きました。

今月は、「ブライン凍結が行われる以前のカツオの需要と、どのような漁法でカツオ漁をしていたのか」に付いてお話しをさせて頂きます。

〈石器時代から江戸時代〉
カツオ漁の起源は古く、カツオの骨が石器時代の貝塚から見つかっています。このころ既に釣り針やモリを使ってカツオを獲っていたと思われ、漁獲地も居住地近くの浜辺から船を出していたと思われます。

鎌倉時代から戦国時代にカツオ漁は盛んになり、特に戦国時代ではカツオ節を陣中食・兵食として食していたようです。

江戸時代になり、カツオ節の需要は急速に伸びていきました。これは「勝男武士」と書かれる様に武士の縁起物として使用されるようになった事や、結婚のお祝いとして使用され始めた事が要因である様です。

また、鰹節がこの時代に改良され最高の調味料として様々な料理に貢献しはじめました。この様な理由がカツオや鰹節の需要を高める要因となった様です。

江戸時代のカツオ漁は、自分達の住んでいる港付近に回遊してきた鰹を獲るという消費的なカツオ漁を行っていました。この時代は漁獲地が港から近い為、現在の様な冷却保存が必要無かったのかもしれません。漁当日に獲れたカツオを浜に上げ、直ぐに食用にしていたと思われます。

漁法に付いては、地先の近海に近づいてきた鰯を船の上からタモや引き網を使って捕獲し、カツオ漁のエサとしていた様です。

鰯を生きたままのエサとして何時ごろから使用していたのかは詳しくは解りませんが、江戸時代の中期頃には、捕獲した鰯を船上のエサ桶(カゴ)に移して使用していたという記録が残っています。

その後、生きたままの鰯を比較的長時間保存できるようになり、エサの鰯カゴを船に曳航したまま出漁出来るようになりました。時には泊がけの漁も行っていた様です。

この頃の操業は、カツオ船(当時は櫓船:手漕ぎの船)に15~20人の漁師が乗り込み、早朝出船して夕方に帰港する小規模な漁業形態が一般的だった様です。

また、この頃のカツオ漁が盛んな地域は、薩摩・土佐・紀伊・焼津・伊豆・相模・房総など、現在とあまり変わってはいません。