03.ちょっと一休み・・・鰹節の歴史

前回まで、鰹節の製造工程を説明しました。ここまでで「荒節」と呼ばれる鰹節の製造工程が一区切りしましたので、今日はち ょっと歴史について、説明しようと思います。

鰹節の発祥の地は、“モルジブ”とされております。モルジブは魚の水揚げの7割8割が鰹と言われており、鰹は国魚だそうです。食習慣として鰹が食べられているのは、モルジブと日本だけだそうです。

鰹に限らず温かい地域で魚を取りますと、どうしても腐ります。そこで昔の人は、魚を開いて干して、乾燥させて・・・今で言うところの“干物”にして、保管しておきました。

これが鰹節の始まりと言われております。

この干す形から、下から火で焙って乾燥していきました。これは防虫効果があると考えられていました。

この技術がモルジブから大陸沿いにベトナムなどやフィリピンなどを通過して、日本にも伝わったといわれております。

日本では沖縄の鰹節が県別では一番生産量と消費量が多いです。本州

で作られる鰹節よりは大型の鰹を使って作られています。

文献から、鰹節を探ってみますと、古事記に「堅魚」という言葉で現在の鰹節の原型のものが登場しております。

鰹を使ったものが、煮堅魚や堅魚煎汁(かたうおいろり)と記されており、税金の代わりに収められていたり、献上品としての役目もになっていました。

現在焼津では新嘗祭の献上品として、毎年年に一度、献上品の鰹節を作る事を業界団体で行なっておりますが、これも名残だと思われます。

平安朝以前には、伊豆・とさ・紀伊など10カ国から朝廷に貢納されています。神社などの棟木についた飾りを「堅魚木」とも呼んでいるところからも、そもそも鰹が昔から重宝され、神へのお供え物として、海産物としは高い評価がありました。

日本に伝わってからは、その製造技術が発達したのは、四国の土佐地方です。ちなみに現在ではその土佐地方では鰹を使った鰹節はほとんど作られておらず、宗田鰹を使った宗田節が作られています。