02.カツオ船の大型化

先月号では、遠洋でカツオ漁をおこなう為に、カツオ船が動力化に移行して来た経緯に付いてお話させて頂きました。

カツオ船の大型化が進むにつれ、カツオ船内の設備も大きく変わって行きます。今月号では動力化前と内部構造がどのように変わって行ったのか、お話させて頂きます。

《大型化に伴う活魚倉》
明治39年にカツオ船の動力化が行われた後、大正時代から昭和にかけて、カツオ船の大型化が進みます。この頃になると100トンを超す船は木造船から鋼鉄船へと変更し始めます。

先月号で紹介した富士丸が木造19トン船でしたので、そのころに比べると約5倍もの大きさのカツオ船が登場し始めた事になります。

カツオ船の大型化が進むにつれ、漁場もマリアナ諸島からカロリン、マーシャル諸島の南方海域まで出漁が可能となりました。
また、船内の設備も変更が行われ、特に活き餌を保存しておく活魚倉も大きくなってきました。この活魚倉を『生間(イケマ)』と呼びます。

この『生間』とはカツオ船の一部区画に、船底の数か所に撥水孔を開け、絶えず海水が出入りするように工夫した船内イケスの事です。

カツオ船が大型化すると新たに船の中央部に2~4の区画を設け、船の航行中には船底に開けた沢山の撥水孔から海水が出入りし、活魚倉内の海水がいつも外部の海水と交換される様になりました。

そうする事で、海水が上手に循環され、活魚倉内の鰯が長持ちするようになりました。またこの『生間』は、カツオを釣った時には魚倉としても使用されたようです。

動力化前に比べ生間を多く用いるようになった為、餌の鰯が無くなり空いた生間に多くのカツオを貯蔵する事が出来ました。

しかし、船底に孔を開けて海水を出し入れする自然循環方式はカツオ船が動くときに活魚倉内の海水が入れ替わる方式となっていた為、停泊中は、海水の出し入れが出来ないので活き餌を死なせてしまう事が度々発生し、遠洋でのカツオ漁を行う為に致命的な欠陥がありました。
以上の様な理由から、数年後にポンプ式による強制循環方式が採用され始め、活魚倉内の水流も一定になり活き鰯の保存期間も大幅に伸び始めましたが、船底の数か所に撥水孔を開ける自然循環方式が昭和初期頃まで主流を占めていました。http://msp.c.yimg.jp/image?q=tbn:ANd9GcQ3q0RqUVues7dLjrUXIGs7MVDw9ekEOvFT71uhMjEH3hwn6ejXF2Q_bw:http://www3.tcn.ne.jp/~oyuchan/17.8.21koaji.jpg