03.小笠原諸島の鰹漁

先月号では、新島の出現による排他的経済水域(EEZ)の拡大の可能性とEEZ拡大によるマグロ・カツオの漁獲量に付いてお話をさせて頂きました。今月は、この新島が出現した小笠原諸島周辺の鰹漁に付いてお話しをさせて頂きます。

【北上する鰹】
まずは、小笠原諸島周辺の鰹漁に付いてお話しする前に鰹の回遊と北上に付いてお話しさせて頂きます。

鰹の生息域は北緯40度から南緯40度の海洋で、太平洋・インド洋・大西洋の熱帯から温帯水域にかけて広く分布しています。鰹の適水温とされるのは約17℃~29℃と言われており、日本海側ではほとんど獲れませんが、太平洋側では、多くの鰹が獲れています。

鰹は回遊をすることでも知られていますが、日本に近づくのは、海流の影響が起因しています。

回遊ルート大きく分けて2つあるとされており、2月頃に九州南部から黒潮に乗って太平洋を北上する「黒潮ルート」、もう一つはミクロネシア付近から小笠原海流に乗って北上する「小笠原ルート」です。

大きく分けて2つですが、この他にも紀州の南側から北上する「紀州ルート」、そして伊豆諸島の東の沖合を北上する「東沖ルート」などがあるとされています。

どちらのルートもやがて黒潮と親潮のぶつかる三陸沖まで達し、親潮の勢力が強くなる秋にUターンして南下を始めます。

【小笠原諸島の鰹漁】
小笠原諸島は、1593年に小笠原貞頼により発見され、1876年に正式に日本領土と認められた島です。
大正から昭和初期は亜熱帯気候を活かした果樹や野菜の栽培が盛んでした。特に小笠原海流にのって北上する「小笠原ルート」の鰹は、小笠原諸島の重要な産業でもありました。

小笠原諸島の鰹・鮪漁の最盛期と言われる1939年(昭和14年)から1942年(昭和17年)には、小笠原諸島の鰹・鮪船の漁業組合員の平均年収は約4,500円でした。当時の漁獲量を確認する事は出来ませんでしたが、その当時の教員の年収が約800円、総理大臣で8,000円と言われていますので、いかに鰹・鮪漁が豊漁となり島民の生活が豊かであったか想像できます。

また、鰹は回遊魚ですが、島周辺の水温の高い水域で周年を過ごす瀬付きの群れもあります。日本周辺では、南西諸島や小笠原諸島の付近に生息しています。回遊群は比較的若い3~4年魚が中心ですが、瀬付きの群れは大型の成熟魚が多いとされています。

小笠原諸島は、こうした「小笠原ルート」を北上する鰹群や瀬付の鰹群が島周辺で獲れるため、恰好の漁場でした。

しかし、第2次大戦が始まると、島民の生活が一変してしまいます。