08.山彦日記

東京オリンピックまであと1,250日余りと楽しみにしている山彦は田舎に住んでいる。
国際大型イベントを見学したのは1970年の大阪万博である。まだ山彦が小学校低学年のころで、50年近く前になるがその体験の一部はいまだに強烈な印象を残している。田舎の小学生には初めて尽くしのことばかり。大阪はむろん遠出することもないし、新幹線に乗ること自体初めてだし、何よりも家業の農作業や家事で忙しい母が我々子供を伴って連れて行ってくれたことがたまらなくうれしかった。
しかし道のりはきびしい。わくわくドキドキして乗った新幹線は激しく混み合い、乗り込む時点ですでに押し合いへし合い状態なのに次の駅に着くとさらにまた乗り込んでくる。列車の通路も立錐の余地もなく、そればかりか人が座っている席と前の背もたれの間にも人が立たざるを得ないひどい状況であった。
そんな車中にさらに異様な雰囲気の列があった。母親と子供2人がそれぞれ一人掛けで座っている。他の親子連れは子供を膝の上に座らせたりして融通しているのにその母親の表情は硬く「私は座るためにずっと待ったのだ」とまわりの言葉に耳を貸さずにすわらせたままであった。
道徳でなく、好ましいか否かではなく、この主張に「このお母さんは周りの多くの人に対して反論できて偉いなあ」子供心に感心した。当時は女性の地位が低く、大人の女性が意見を述べるのを見聞する機会はほとんどない。人生最初のカルチャーショックといっても過言ではない。
大阪に近づくにつれ車内はますます混む。ちょうどその母子の脇にいた山彦はようよう疲れ果て子供の席にそっと寄りかかり半ば座ってしまったその瞬間その母親の手が伸び、ここは私たちの席だと言わんばかりに無言で山彦のお尻を押すではないか。その母親の指の感触は尻に、心には「自分の子供のためにここまでできるのだ」と刻み込まれた。
今思えば母もよくぞ私たちを連れて行ってくれたものである。「月の石」は見られなかったけれど得難い経験をさせてもらった。母の愛に心から感謝いたします。